てんたま外伝「Again」最終話(てんたまサイドストーリー)

最終話 翼に託された夢

学校からの帰り道、威は奈菜のために、ある場所に立ち寄った。
今度、八坂町に新しくオープンしたケーキ屋「アモール・パステール」である。
ここ最近の奈菜は何故か元気がなかった。
彼女自身、そんなふうに思わせないようにしているつもりなのだが、威はすぐに何かあることに感づいた。
一応、奈菜にそれとなく尋ねてみたが、彼女からは「大丈夫です」という答えしか返ってこなかった。
威は女心というものに疎かったので、どうしていいのかさっぱり分からなかった。
それで結局、ケーキを買って帰ることぐらいしか思いつかず、普段は近寄ることのない店に足を運んだというわけである。
「こんなことしか思いつかないとはな・・・」
威はため息をついた。
我ながら情けないと思わずにはいられなかった。
もっとも、今まで女の子とまともに話したことがなかったのだから、仕方ないことかもしれないのだが。
───だけど、最近、奈菜のことばかり考えているな・・・
威は四六時中、奈菜のことばかり考えていることに戸惑いを覚えた。
奈菜のことを考えると、否応なしに胸の鼓動が速くなり、ずっと頭から彼女のことが離れなくなる。
こんな気持ちにかられることは初めてだった。
奈菜が自分の前に現れてから、2ヶ月が過ぎようとしていた。
天使だと名乗った少女が来てから、威をとりまく環境は大きく変わり、さらに自分自身も変わっていった。
この気持ちもそんな変化の一端なのであろうか。
威はもやもやした心境を抱えながら、歩道を歩いた。
横断歩道の信号が赤から青に変わり、渡ろうとしたとき───
「危ない!」
突然、誰かが大声を上げた。
このときになって、威は右手から信号無視をした車がこちらに突っ込んで来たことに気付いた。
しかし、そのときにはもう手遅れだった。
次の瞬間、鈍い音と同時に、威の体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
激しい痛みが体中を駆け巡る。
そして、体中から流れるおびただしい鮮血が、ぐちゃぐちゃにつぶれたケーキの箱を赤く染めた。
「奈菜・・・」
薄れゆく意識の中で、威は天使の少女の名を口にした。

どこまでも続く暗闇・・・
ただ一色に染まった世界に、威はひとり横たわっていた。
威は虚ろなまなざしで終わりのない天井をみていた。
───眠い・・・疲れた・・・
襲いかかるの倦怠感が、威の意識をじょじょに消し始めた。
「・・・さん・・・威さん・・・」
そのとき、突然、頭上が薄緑の光が現れた。その光りの正体は大きな赤い翼を広げた天使だった。
「おまえは・・・奈菜・・・」
かすんだ視界に映ったのは、まぎれもなく奈菜であった。
「威さん、しっかり意識をもってください。今、ここから出してあげますから」
「奈菜・・・ここから出たくても、体がいうことを効かないんだ」
「大丈夫です。どんなことがあっても、私が威さんを助けてみせます」
奈菜はそう言って、威の手を掴むと、翼をはためかせた。
すると、ゆっくりと威の体が宙に浮き始めた。
どれくらい飛んだか分からないが、依然、辺りは暗闇しか存在しなかった。
その闇に、奈菜の翼から落ちた羽が舞っていた。
やがて頭上にかすかな光が見え始めた。
「奈菜・・・」
威は、奈菜が苦しそうにしている姿を見て胸が痛んだ。
しかし、身動きの出来ない自分にはどうすることもできなかった。
奈菜は呼吸を乱しながらも、懸命に翼を羽ばたかせた。
すると、次第に光が大きくなっていった。
やがて光はふたりを包み込んだ。
その瞬間、威は完全に意識を失った。

次に威が目を覚ますと、そこは病院の一室だった。
「威さん、よかった気がついて・・・」
威が声のした方向に顔を向けると、奈菜とマラソン大会のときに見かけた女の子が立っていた。
その女の子も色違いの羽を持っていた。
「おまえは、確かマラソン大会で奈菜と一緒にいた女の子だな」
「ああ。ボクは葵といって、奈菜とは親友同士なんだ」
「そうか。だから、奈菜と同じように羽が生えているんだな」
葵を見たあとに、奈菜に目を向けた瞬間、威はある変化に気付いた。
「奈菜、おまえの羽がなくなっているじゃないか!?いったいどうしたんだ?」
「そ、それは・・・」
口ごもる奈菜。
「奈菜は威の命を助けるために、天使の力を使い果たしてしまったから、羽を失ってしまったんだよ!」
そんな彼女の代わりに葵が答えた。
「なんだって!」
威はこのとき、暗闇の世界での出来事を思い出した。
───あのときか・・・
「なんで、そこまでして俺を助けたんだ・・・」
威はかすれた声で尋ねた。
「私は威さんを幸せにするためにやって来た天使ですから、当然のことをしたまでです」
奈菜は穏やかに微笑みながら答えた。
「今の威さんなら、ひとりになっても自分の夢を叶えて幸せになれると思います。だから、私は今日、威さんのもとを去ろうと思います」
奈菜がそう言うと、葵が慌てふためいた。
「ちょ、ちょっと待てよ、奈菜!もう奈菜は・・・」
「葵ちゃん!」
葵の言葉を強い口調で遮った。
「・・・私は大丈夫だから、心配しないで。それじゃ、威さん、こんな形でお別れになってしまってすみません。短い間でしたが、いろいろとお世話になりました。それから、たいした力になれずにすみませんでした」
奈菜は深深と頭を下げると、背を向けて歩き出した。
「待つんだ!奈菜!」
威が大声を出すと、奈菜はその場に立ち止まった。
「お願いです・・・このまま行かせてください・・・」
奈菜は小刻みに体を震わせながら、涙声でつぶやいた。
「いや、行かせる訳にはいかない。俺が幸せになるには、奈菜がいないと駄目なんだ!」
「え・・・」
「俺の夢はひとつじゃない。ふたつあるんだ。ひとつは親父と同じ競艇選手になること。そして、もうひとつがその姿を奈菜に見てもらうことだ」
威は真剣な表情で奈菜を見つめた。
本当は自分の手で奈菜を引き止めたかったのだが、怪我のせいで上半身しか動かせなかったので、自らの思いを言葉に変えて、止めるしか方法がなかった。
「私は・・・私は・・・もう天使じゃないから、威さんのそばにいても力になれません。だから、そんな私がそばにいても迷惑になるだけです・・・」
「そんなことはない!俺がそばにいて欲しいのは“天使の奈菜”じゃなく“奈菜”だ!俺の幸せは奈菜がいてこそ叶うものなんだ!」
「威さん・・・」
奈菜はゆっくりと振り返った。
涙で濡れた瞳で、じっと威を見つめた。
「・・・本当に・・・本当に・・・私が威さんのそばにいてもいいんですか・・・こんな役立たずな女の子でもいいんですか・・・」
「ああ!奈菜じゃないと駄目だ」
力強くうなずく。
「威さん・・・これからよろしくお願いします」
奈菜はふたたび威のもとに戻ると、深く頭を下げた。
「こちらこそよろしく」
威は笑顔で奈菜を迎えた。
「ボクはお邪魔虫みたいだから、もう帰るね」
葵がいたずらっぽく笑って戻って来た奈菜の肩を軽く叩いた。
「葵ちゃん、ごめんね、心配かけちゃって」
「いいって、いいって。奈菜はボクの親友だから、困ったときに助けるのは当然のことだよ。威、奈菜のことをちゃんと守ってよ。もし、奈菜を泣かせるようなことしたら、ボク絶対に許さないから」
「分かってる。これからは俺が奈菜を守ってやる」
「だってさ。よかったね、奈菜」
「あ、葵ちゃんってば・・・」
奈菜の顔が朱色に染まる。
「アハハ、それじゃあね、ふたりとも。ごゆっくり」
葵は軽く手を振ると、病室をあとにした。
残されるような形となった威と奈菜はしばしの間、黙り込んでしまった。
「あ、あの、威さん・・・」
先に口を開いたのは奈菜だった。
「私・・・威さんの言葉、すごく嬉しかったです。私はその・・・あの・・・威さんのことが・・・その・・・」
顔を赤くしながらうつむく。
「奈菜・・・」
威は上半身を起こすと、奈菜の華奢な体を自分のほうに引き寄せた。
「あ・・・」
奈菜は一瞬、大きくまばたきをしたが、すぐに目を閉じ、威にもたれかかるようにその身を委ねた。
言葉はなかったが、お互いの気持ちは十分に伝わっていた。
ふたりはこの瞬間、かけがえのない思いと幸せを手に入れた・・・