第1話 天使降臨

放課後を告げるチャイムが鳴ると同時に、教壇に立っていた教師が終わりの挨拶を告げた。
それと同時に、今日の日直が起立と礼の号令を掛ける。
1日の学校生活から解放された生徒たちは、各々の目的を果たすため、慌しく教室を後にしていった。
桐生威は、他の生徒が出て行ったあとに、ひとり教室を離れた。
校舎を出ると、校庭で熱心に部活動に励む生徒たちの姿が目に入った。
「・・・」
威は、その風景をちらりと一瞥すると、急ぎ足でその場を去った。
茜色の斜陽が威を照らし出す。
威は目を細めながら、いつもと同じ帰路に着いた。
自分の家が見え始めたそのとき、すぐそばの電柱の陰からひとりの女の子が現れた。
その姿を見た瞬間、威は思わず立ち止まってしまった。
年は15歳ぐらいだろうか。
外見は大人しい感じのする可愛い女の子だった。
しかし、ひとつだけ大きく変わっている部分があった。
それは、その女の子の背中に小さな赤い羽が生えていることである。
「あ、あの・・・桐生威さん・・・ですよね・・・」
赤い羽の女の子が、おどおどしながら尋ねてきた。
「お、おまえは何者なんだ?何故、俺の名前を知っているんだ?」
威は逆に尋ね返した。
「あ、ご、ごめんなさい。自己紹介がまだでしたね。私は奈菜といいます。あなたを幸せにするためやって来た天使です」
顔を真っ赤にして、消え入りそうな声で答える。
「天使・・・!?」
確かにそれらしき羽があるので、奈菜と名乗る女の子の言い分は、あながちうそではなさそうだ。
「訪ねる相手を間違っているんじゃないのか?俺には幸せなんて、初めから縁がないからな」
威の冷たい視線を受けた奈菜が、怯えたように後ずさった。
威は奈菜を無視するように歩き出した。
「ま、待ってください!」
奈菜が背後から声を掛けた。
「幸せと縁がないなんて、そんなこと絶対ありません!ひとは誰だって幸せになれる権利があるんです。勿論、威さんだって・・・そんな悲しいこと言わないでください・・・」
威が振り返ると、目に涙をいっぱい溜めて、華奢な体を震わせている奈菜の姿があった。
「お、おい!何も泣かなくてもいいだろ」
突然の出来事に、威はすっかり狼狽してしまった。
───どうして、この娘は俺なんかのために泣いているんだ・・・?
疑問が湧き上がるが、今はそれどころではなかった。
「と、とにかく、うちまで来い。詳しいことはそこで聞いてやる」
このまま泣かれて近所のひとに見られでもしたら、間違いなく変な噂が立ってしまう。
何しろ、ただでさえ、羽があって目立つ姿をしているのだから。
威は泣きじゃくる奈菜を自分の家まで案内した。

威の家は、天使の登場によって、普段とは違う雰囲気が漂っていた。
現在、威はここにひとりで住んでいた。
母親は彼が幼い頃、離婚して家を離れ、一緒に生活をしていた父親も2年前に事故で他界したからである。
父親が亡くなった直後、違う男性と再婚した母親から「自分の家へ来ないか」と誘いがあったが、威はその申し出を断った。
今さら、新しい母親の家庭に入れば、かなり居辛いと思ったからである。
その結果、高校を卒業するまで、母親のほうが教育費と生活費を出すことになって、今の生活が始まった。
成り行きで奈菜を招き入れたものの、あれから全く会話がなく、互いにじっと居間のソファーに腰掛けたまま、時間だけが過ぎていった。
「おまえ・・・本当に天使なのか?」
威が沈黙に耐え切れず、話を切り出した。
「はい。この羽がなによりの証です。もっとも私は成り立ての新米天使ですが・・・」
ぽつりと答える奈菜。
「その新米天使がなんで、俺のところにやって来たんだ?」
「それは、あなたを幸せにするようにと、神様から任務を与えられたからです。私たちの任務はひとりでも多くのひとを幸せにすることなんです」
「・・・」
威の冷めたまなざしが奈菜を捉える。
奈菜はかすかに体を震わせながらも、じっと威を見つめた。
「あ、あの・・・私、精一杯頑張って、威さんを幸せにしてみせます。だから、しばらくここに居させてください。お願いします」
奈菜が頭を下げる。
「・・・勝手にすればいい。どうせ駄目だといっても、素直に聞いたりしないんだろ。そのかわり、自分のことはちゃんと自分でしろ」
威はそっけない口調で答えた。
「あ、ありがとうございます!」
奈菜はまた頭を下げた。
「・・・」
威はフンと鼻を鳴らすと、無言のままリビングを離れた。