てんたま外伝「Again」第8話(てんたまサイドストーリー)

第8話 惹かれあう心

自宅のリビングのソファに腰を降ろしていた威は、2枚のチケットを手にしたまま、固まっていた。
それは勝俊からもらった高級レストラン「ラ・ピュセル」の豪華ディナー付の招待券だった。
何故、急に勝俊がこんなものを自分にくれたのか、威はまったく分からなかった。
渡した本人に尋ねても、ただ「いいからもらっとけよ」としか言わなかったからだ。
この券は一緒でないと使えないみたいなので、誰かを誘う必要がある。
ただ、誘うといっても、友達がほとんどいないので、肝心な相手が見つからない。
かといって、そのままもらったチケットを無駄にするのも、もったいないし、どうしたものかとかれこれ1時間ほど思案していた。
「ん、そうだ。奈菜を誘えばいいか」
威は突然、思いついたひらめきに、我ながらいい案だと自画自賛した。
善は急げということで、威はすぐに奈菜がいる部屋に足を向けた。
そして、現在、奈菜の部屋として使われている客間の前に立つと、ドアをノックした。
「はい?」
「俺だけど、ちょっといいか」
「あ、はい、ちょっと待ってください」
ほんの少しして、ドアが開き、奈菜が姿を見せた。
「何か用ですか?」
「ああ、実は勝俊から高級レストランの無料招待券を2枚もらったから、明日の夕方にでも一緒に行かないか?」
「え・・・?」
奈菜の愛らしい瞳が一瞬、大きく見開かれる。
「あ、あの・・・」
そのあと、たちまち顔を真っ赤にさせてうつむいた。
「ん、どうしたんだ?ひょっとして都合が悪いのか?」
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですが・・・あの、その・・・」
もじもじしながら口ごもる。
「もし、何もなければ、一緒に行こうぜ。せっかくただでもらった券だし、こういう機会なんて滅多にないからな」
「あ、はい・・・それなら、ご一緒させていただきます」
「よし、じゃあ、明日の夕方、忘れないでくれ」
威はそう言って、その場から離れた。
「これって・・・」
奈菜は顔を上気させたまま、威の背中を見送った。

翌日の夕方、威は玄関先で奈菜がやって来るのを待っていた。
「遅いなってすみません」
威が待つこと10分が経過したところで、奈菜が小走りで階段を降りてきた。
「・・・!」
降りてきた奈菜を見て、威は言葉を失った。
薄い緑色のドレスを身にまとった奈菜は、いつもとは明らかに違う雰囲気に包まれていた。
可愛らしさの中に美しさを感じさせられた。
───これが本当に奈菜なのか・・・
思わず見惚れてしまった。
「あ、あの、やっぱり変ですか?」
奈菜は顔を真っ赤にさせながら、おずおずと尋ねた。
彼女自身も、こういう姿に慣れていないので、どうしても不安が先行してしまうのだ。
「いや、そんなことない・・・」
威は慌てて奈菜から視線をそらした。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
ふたりは、玄関のドアを開け、夕闇に沈みゆく町へ出た。
それから30分ほどで、威と奈菜は「ラ・ピュセル」にたどり着いた。
中に入ると、出迎えたウエイターによって、純白のテーブルクロスが掛けられた円卓のテーブルまで案内された。
はっきりいって、威は自分が場違いなところにいるような気がしてならなかった。
───もっときちんとした服装で来るべきだったかもしれない・・・
一応、外出用の服装にはしていたのだが、それでもここではまったく意味がなかった。
まるで他人の家にパジャマ姿でやって来たような感じだった。
さらに奈菜が正装しているため、余計に自分の格好が無様に映ってしまう。
まわりを見ても、明らかに威の姿だけ浮いていた。
気恥ずかしさから、威はすっかり落ち着きをなくし、料理が運ばれるまでのあいだ、ずっとそわそわしていた。
「どうしたんですか?」
奈菜が心配そうに尋ねてきた。
「あ、いや、なんでもない」
威は慌てて首を振った。
ちょうどそのとき、ようやく前菜が運ばれてきた。
威は早速、それを慣れない手つきで、フォークとナイフを使いながら食べ始めた。
珍しい味というのが第1印象だった。
こういう高級な料理は今まで食べたことがなかったので、何がおいしいのか何がまずいのかまったく理解できないというのが本音だったりする。
威の結論は、大金を払ってまで食べるものではないということだった。
「ん?どうした?」
威は奈菜がこちらの様子をちらちらとうかがっていることに気付いた。
「あ、あの、な、何でもありません!」
奈菜はひどく驚きながら答えた。
「そうか?その割にはさっきから俺の顔ばかり見ていたけど」
「そ、それはその・・・」
みるみる奈菜の顔が朱に染まっていく。
「あ、あの、威さん、本当に私なんかと一緒でよかったのですか?」
「ああ、俺は奈菜と一緒に行きたいと思ったから誘ったんだ」
「えっ!」
奈菜は驚きのあまり、持っていたフォークを落とした。
「奈菜にはいろいろ世話になったからな。だから、そのお礼として誘ったんだ」
「そ、そうですか。そうですよね・・・アハハ・・・」
奈菜は引きつった笑いを浮かべながら、慌ててフォークを拾った。
「奈菜には本当にいろいろと世話になったな。こうして今の俺があるのは、奈菜のおかげだ。ありがとう」
「そ、そんなことないです。私なんか何の役にも立っていないです・・・すみません、こんな役立たずな天使で・・・」
表情を曇らせる奈菜を見て、威は首を横に振った。
「いいや、奈菜がいなければ、俺はずっとすべてを投げ出したままでいた。奈菜がいたから、ふたたび前に進むことができるようになったんだ」
「威さん・・・ありがとうございます。そう言ってくれると、すごく嬉しいです・・・」
奈菜は目を輝かせながら、はにかんだ。
「威さん、私、これからも威の力になれるように頑張りますので、よろしくお願いします」
奈菜はそう言って、ペこりと頭を下げた。
「こちらこそよろしく頼む」
それに対して、威が笑顔で答える。
その笑顔を見ているうちに、奈菜の胸の鼓動が次第と高鳴り出した。
───私も花梨ちゃんと同じ気持ちになっている?
奈菜は親友の天使のことを思い出した。
自分も花梨と同じように、人間に対して惹かれ始めている。
この胸の高鳴りが、何よりの証拠だった。
天使は人間と恋をしてはいけない。
それはお互いの存在の違いが生み出した暗黙の決め事だった。
奈菜はそのことに対して疑問を抱いた。
自分たちは人間を幸せにするため、この地に舞い降りる。
それなら、人間と同じ気持ちがなければ、幸せにすることなどできないのではないか?
天使にも心というものがある。
人間と同じように、泣いたり笑ったり怒ったりする。
だから、人間が恋するように、天使だって恋をしてもおかしくないのではないか?
───分からない・・・私は・・・私はどうしたらいいの・・・?
奈菜の心は荒ぶる大波の上で浮かぶ小船のように、激しく揺れていた。
「奈菜?」
奈菜の異変に気付いた威が声をかけてきた。
「あ・・・な、何でもありません・・・」
奈菜は無理して平静を装った。
この思いは絶対に悟られてはいけない。
自分は天使だから、威を幸せに導かなくてはならない。
それが私の使命なのだから。
奈菜は“天使の使命”を胸の中に刻み付けることにより、沸き上がった疑問を打ち消そうとした。