第5話 挑発

学校の授業を終えて校門を出ようとした威は、知っている顔を見かけ、その場で立ち止まった。
「久しぶりだな」
「橘・・・」
威の前に現れたのは中学時代の同級生で、同じ部活に所属していた橘勝俊だった。
こうして彼と会うのは、中学校を卒業して以来だった。
「俺に何の用だ?」
威の目つきが鋭くなる。
「おまえとある勝負をしようと思ってな」
「勝負だと?」
「ああ。来週の日曜日にある町内マラソン大会で、俺と勝負しようぜ」
「フン、何故、俺がそんな勝負をしなければいけないんだ。馬鹿馬鹿しい」
勝俊の意表をつく申し出を、威は鼻を鳴らして断った。
「フッ、落ちるとこまで落ちたものだな」
勝俊が嘲るような笑みを浮かべた。
「なんだと・・・!」
とたんに威の表情に怒りの色が浮かび上がる。
「今のおまえの姿を親父さんが見たら、きっと嘆くだろうな」
「勝俊、貴様!」
威が声を荒げると、まわりにいた下校中の生徒が立ち止まってざわめきだした。
しかし、そんな異様な雰囲気のなかでも、勝俊は冷静だった。
「おまえの親父さんは、今のおまえみたいに自分自身に負けていなかった。俺はそう思っている」
「・・・!」
そのひと言が、燃え始めた怒りの炎を消し去ってしまった。
親父は自分自身に負けていなかった・・・?
その言葉の真意が今の威には理解できなかった。
「まあ、勝負を受ける受けないはおまえ次第だ。負けるのが怖いなら、負け犬のように逃げ隠れしていればいいさ。とにかく、俺は日曜日、大会に参加するからな」
勝俊は不敵な笑みを浮かべながらそう言い残すと、きびすを返して歩き出した。
突然、突きつけられた挑戦状は、怒りとともに失っていた闘争心を甦らせた。
絶対に負けられない!
威は両手の拳に力を込めながら、遠ざかる勝俊の背中を見送った。



薄い朝日が差し込む道路を威は懸命に走っていた。
来たるべき勝負に備えて。
走る距離は10km。
本番と同じ距離である。
威は息を絶え絶えにしながら走り終えると、疲れた体を引きずりながら家に戻った。
玄関の扉を開けると、偶然、階段から降りてきた奈菜とばったり会った。
「威さん・・・今まで走っていたんですか?」
奈菜が困惑気味に尋ねてきた。
「ああ・・・今度のマラソン大会のための練習だ」
威はそう答えると、シャワーを浴びるため、浴室へ向かった。
「・・・俺は負けない・・・もう負けるわけにはいかない・・・」
すれ違いざまにつぶやいた威の言葉に、奈菜ははっとした。
「威さん・・・」
奈菜は威の背中をじっと見つめた
今まで無気力だった威の瞳に輝きが戻っていた。
これは奈菜にとって、喜ばしいことである。
しかし、その輝きには明るさやまぶしさは皆無だった。
あるのは黒い輝き・・・
それは“勝利”という勲章に対する異常なまでの執念といえる。
勝負に勝ちたい気持ちは分からなくもない。
負けるよりは勝つほうが気分もいいし、それが目に見える努力した結果となるからだ。
しかし、威の場合、それ以外の大きな理由があるように感じられた。
それが何かは、奈菜にはまったく分からなかった。
だが、そのために、威が追い込まれているような危機感を持っていることだけは、なんとなく気付いた。
黒くて暗い輝きに取り込まれた感じの威に、奈菜は言いようのない憂いを覚えた。