第2話 ブロンズコレクター

翌朝、目を覚ました威が台所に入ると、香ばしいパンの匂いが鼻をくすぐった。
いつもなら誰もいないはずの台所には、赤い羽を生やした少女の姿があった。
「あ、お、お、おはよう・・・ございます」
奈菜はおどおどしながら、ペコリと頭を下げた。
「あ、あ、あの、その、朝ごはんの準備しましたから、もし、よかったら食べてください」
ビクビクしながら申し出る。
威はそんな奈菜を軽く一瞥すると、無言のまま席について、彼女が作った朝食を食べ始めた。
「おまえは食べないのか?」
威はじっと立ち尽くしている奈菜に声を掛けた。
「え、ええ、私はあとで食べますから・・・」
奈菜は威から少し離れた席に座った。
「そうか」
それから一言の会話もなく、時だけが流れた。
威は食事を終えると、食器を流しに置いた。
「あ、あとは私がやります」
奈菜が慌てて駆け寄る。
威は無言のまま、その場を離れようとしたが、何を思い出したのか急に立ち止まった。
「これを渡しておく」
と言って奈菜に手渡したのはこの家の鍵だった。
「もし、外に出るなら、戸締りだけはきちんとしてくれ」
威はそれだけ言い残すと、そのまま学校へ向かった。
玄関のドアが閉まる音がしたのと同時に、奈菜の口からため息が漏れた。
緊張の糸が切れ、どっと疲労感が溢れ出す。
もともとあがり症なので、こういうことはよくあるのだが、今回は特に激しかった。
───これからどうすればいいんでしょう・・・
奈菜から見た威の印象は、「怖い」の一言に尽きた。
あの冷たいまなざしで睨まれると、体がすくんで、言葉を失ってしまう。
かといって、このまま黙ったままでいるわけにもいかないので、ここはなんとしてもコミュニケーションをとらなくてはならない。
幸い、威が家の鍵を渡してくれたので、ここにいることに関しては反対されていないと思われる。
それなら、時間をかけて相手のことを調べて、それから行動に移そうと奈菜は考えた。
もっとも、相手が相手だけに、非常に険しい道のりになるのは必至だが・・・
「とにかく、がんばるしかないですね・・・」
奈菜は自分自身を励ました。

その日の昼頃、奈菜は威の家を離れて、町の中を探索した。
見習い天使だった頃に、ここ人間界に1度だけやって来たことがあるので、場所こそ違うものの、とても懐かしく感じることが出来た。
───千夏さん、元気にしているかしら。
小さなお店が密集した商店街の中にあるクレープ屋を見たとき、以前、一緒に生活をしていた少女のことを思い出した。
ここ『八坂町』は、千夏が住んでいる町の隣町になるので、会おうと思えば、訪ねることが出来る。
もし、機会があれば、行ってみようと奈菜は思った。
「おーい!奈菜!そこにいるのは奈菜だろ」
突然、聞き覚えのある声を耳にした奈菜が後ろを振り返った。
「あ、葵ちゃん!?葵ちゃんなの?」
声の主は、親友である天使の葵だった。葵はひとりの少年と一緒にいたが、奈菜の顔を見るなり、こちらに駆け寄った。
「やっぱり奈菜だ!また、同じ町で会えるなんて、すごい偶然だね」
葵は声を弾ませながら、奈菜の手を握った。
「本当ね。葵ちゃんも仕事でこっちに来たの?」
「うん、そうだよ。奈菜もそうなのか?」
「うん」
奈菜がうなずく。
「葵、その娘が知り合いの天使なのか?」
葵のそばにいた少年がふたりの話に割って入った。
「あ、勝俊。紹介するよ、この娘はボクの親友の奈菜だよ」
「へえ、この娘が奈菜ちゃんか。初めまして、俺は橘勝俊っていうんだ。よろしく」
「は、初めまして・・・奈菜といいます・・・」
奈菜はぎこちなく頭を下げた。
「あの・・・俺ってそんなに怖い顔しているかな?」
奈菜の態度に勝俊が困ったような顔をした。
「あ、違うんだよ、勝俊。奈菜は人見知りが激しいから、初対面のひとにはいつもそういう態度になってしまうんだよ」
葵がフォローを入れた。
「そうなんだ。よかった、てっきり怖がられているかと思ったよ」
勝俊は、頭をかきながら安堵の表情を浮かべた。
「ボクは今、このひとの担当なんだ。奈菜は誰の担当しているんだ?」
「私は桐生威さんというひとのところにお邪魔しているの」
「桐生威?ひょっとしてあの威のことかな」
「え・・・勝俊さんは威さんを知っているのですか?」
奈菜が目を大きく見開いて尋ねた。
「ああ、あいつとは中学生のころ同じクラスだったし、部活も一緒だったからね」
「そうだったんですか・・・あ、あの、その、勝俊さんに聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「威のことだね。俺の分かる範囲でよければいいよ。そうだな、立ち話もなんだから、近くの喫茶店にでも行こうか」
勝俊は快く奈菜の頼みを承諾した。
「え、喫茶店に行くんだ。やった、ボク、パフェが食べたいな」
「おいおい、少しは遠慮してくれよ」
「えー、せっかくこんな可愛い女の子ふたりとお茶できるんだから、それぐらいおごってくれてもいいじゃん」
「奈菜ちゃんはともかく葵が可愛い女の子っていうのはちょっと無理があるぞ」
「なんだよ、失礼しちゃうな」
葵は頬を膨らませて抗議した。
「分かった分かった。今日は奈菜ちゃんと知り合いになれた記念ということでおごってやるよ。そのかわり、今日だけだぞ」
「うんうん、分かってるよ。さすが勝俊だね。ボク、勝俊のそんなところ好きだよ」
嬉しそうにうなずく。
「お、お世辞言っても、パフェ以外は出ないからな」
勝俊は顔を少し赤らめ、そっぽを向いた。
「さて、あの店に行こう」
3人は「サジタリアス」という看板がぶら下がった喫茶店に入った。

サジタリアスの店内は、それほど大きくなかったが、品のいいテーブルが規則正しく置かれていて、なかなかの造りをしていた。
窓際のテーブルに案内された3人は、ウェイトレスにそれぞれ注文した。
注文した品物は勝俊がアイスコーヒー、葵がチョコレートパフェ、奈菜がクリームソーダだった。
「それにしても、こうして見るとふたりが天使だっていう気がしないな。確かに羽があるけど、それを除けば、普通の女の子にしか見えないし」
「なんか引っ掛かる言い方だなあ。それじゃ、ボクたちが偽者みたいじゃないか。まあ、確かにこの羽は普通のひとには見えないから、他のひとが見れば、ただの女の子としか思わないけどね」
葵はチョコレートパフェをスプーンで突付きながら言った。
「奈菜ちゃんも遠慮せずにパフェを頼んだらよかったのに」
「あ、いえ、私はこれで十分です」
奈菜はうつむき加減に答えた。
「え、遠慮しなくいいの?それじゃ、ボク、おかわり」
「葵は遠慮しろ」
「ちぇ、ケチ」
残念そうに舌打ちする。
「まったく・・・あ、そういえば、奈菜ちゃん、俺に威のことで聞きたいことがあるんだろ。どんなことだい?」
「あ、あの、威さんがどんなひとか教えてほしいんです。私・・・その・・・あがり症で威さんとろくに話が出来なくて・・・」
「確かにあいつは変わってしまってから、話しにくくなったもんな」
勝俊は奈菜が苦労していることに理解を示した。
「変わったって、どういうこと?」
葵が尋ねる。
「今でこそあいつは、退廃的になってしまったが、昔はとても前向きで努力家だったんだ。勉強でも、スポーツでも何事にも一生懸命だったんだ。威と俺は同じ野球部にいて、いつも一緒に練習していたから、あいつの努力にはいつも感心させられたよ」
「でも、そんな努力家の人間が急にそんなになってしまったの?」
「多分・・・努力することに嫌気がさしたからだと思うんだ。威はすごく努力していた。常に1番トップになることを目指してね。でも、どういうわけかどんなに頑張ってもトップになれなかった。いつもいいところにはいくけど、3番とか2番とかばかりだったんだ。いくら本人が努力しても、これだけは変わらなかった。あげくの果てにまわりから『ブロンズコレクター』と呼ばれるようになって、あいつは努力することを放棄したんだ」
「ふーん。でも、それってさ、ただの根性なしってことにならないかな?1番になれなかったのは、努力が足りなかったせいだとボクは思うけど」
「ずいぶん手厳しいな」
葵の発言に勝俊は苦笑いを浮かべた。
「そういう見方もあるけど、それは昔の威を知らないからそう言えるんだよ。あいつの過去を知っている俺から見れば、そうとは思えないんだ。勝負や競争は必ずしも実力どおりにはいかないことだってあるしね」
「確かに勝負は時の運って言うもんね」
「そういうこと。たまたま偶然が重なってそうなってしまったかもしれないしね。ただ、今、考えると、あいつは真面目に一生懸命努力していたけど、それがかえって裏目に出たんじゃないかと思うんだ。なんていうか・・・頑張り過ぎて空回りしていたような気がするんだ」
そう言って勝俊はアイスコーヒーを飲んだ。
「そうだったんですか」
威の意外な過去を聞いた奈菜は、彼が見せる冷たいまなざしの裏に隠された思いを知った。
「奈菜ちゃん、今のあいつはすべてを投げ捨て、自分の殻に閉じこもってすべてを拒絶していると思うんだ。だから、もし、威を幸せにするなら、まず最初にその殻を壊さないといけないと思うよ」
「そうですね・・・やってみます・・・」
と答えたものの、できるかどうかとても不安だった。
もっとも、こうなれば、出来るじゃなくてやらなくてはいけない。
いつまでも怯えてばかりはいられないのだ。
「勝俊さん、いろいろとありがとうございました」
奈菜は頭を下げて礼を言った。
「いいっていいって。こんなことしか教えられなくてこっちこそ申し訳ない。もし、他に何か困ったことがあったら、いつでも相談してくれよ。電話番号と家の住所を後で渡すから、いつでも連絡してくれればいいよ」
勝俊は慌ててパタパタと手を振った。
「ボクも力になるから、頑張ってよ、奈菜。大丈夫、奈菜ならきっとうまくやれるよ」
隣りに座っていた葵が肩に手を置いて、微笑みかけた。
「あ、ありがとうございます・・・!」
ふたりの温かい言葉に奈菜は思わず泣き出した。
「な、奈菜ちゃん、ここで泣かれると、少しまずいんだけど・・・」
勝俊は他の客の注目が集まり出したことに気付いて慌てふためいた。
「ええっと、ハンカチ、ハンカチっと・・・あった。奈菜、これを使いなよ」
葵がピンク色の可愛いハンカチを差し出した。
「ご、ごめんなさい・・・」
奈菜はそのハンカチを受け取って、涙を拭った。
「ほんと、奈菜は昔から泣き虫なんだから」
葵が奈菜に微笑み掛ける。
「ごめんね、葵ちゃん」
「謝らなくていいよ。ボクは奈菜のそういうところ好きだから」
「葵ちゃん・・・」
「ほら、ボクのパフェ、分けてあげるから元気だしなよ」
「ありがとう、葵ちゃん」
奈菜は葵が差し出したチョコレートパフェを受け取ると、スプーンですくって口に入れた。
「おいしい」
「でしょでしょ。ってなわけで、勝俊、パフェひとつ追加、お願いね」
葵は勝俊に向かってウインクをした。
「はいはい。今回は出血大サービスしてやるよ」
勝俊はウェイトレスを呼んで、コーヒーのおかわりとパフェの追加注文をした。