Memories Off2nd~Cross aubade~(桜峰編)第3章

第3章 ここにいる理由

いつもの海岸に足を運んだ智也は、先客がいることに気付き、立ち止まった。
先客の正体は南つばめと名乗った不思議な女性である。
つばめは直立不動の体勢で視線を宙にさまよわせていたが、智也の存在に気付いたらしく、顔だけを後ろに向けた。
「おはよう、智也君」
「おはよう。ずいぶん早くここにいるんだな」
「そんなことないわ。私も今、来たばかりだから」
と言ってふたたび正面に顔を向ける。
つばめの視点は一点に集中していた。
しかし、その視線の先には何もない。
いったい、何を見ているのだろうか?
智也はすごく気になり、つばめに問い掛けた。
「なあ、さっきから何を熱心に見ているんだ?」
「何って、風を見ているの」
「はあ?」
思わず間の抜けた声を出す。
突拍子もない返答が出ることはある程度予想していたが、この答えについてはまったく考えていなかった。
「風なんて見えるわけないだろ?」
「見えるわよ。智也君は見えないの?」
つばめが尋ね返す。
真顔でそう言われた智也は、呆れたような表情でつばめを見た。
「俺は普通の人間だから見えないな」
「私も智也君と同じ人間よ。もっとも、普通かどうかは分からないけど」
「まあ、確かにつばめさんは普通じゃなさそうだな」
智也は自分を納得させるように何度もうなずいた。
「あら、私から見れば智也君も十分普通じゃないわよ」
「俺のどこが普通じゃないんだ?」
「そうね、普通じゃない私とこうして話をしてくれているところなんかがそうなんじゃない」
「うーん、そう言われると確かにそうかもしれないな・・・」
智也は思わず考え込んでしまった。
またしても、つばめが持つ大人の貫禄を思い知らされる。
それほど年齢の差はないと思うのだが、それでもやはり違いがあるのは人生経験の差といえるかもしれない。
「智也君、今、風はどの方角から吹いているか分かる?」
またしても意表をつく質問だった。
「北東から吹いていると思うけど」
「そう、正解。今日の風は北東から吹いているわ。風は北東から南西に流れている。それは分かるわよね」
「ああ。でも、それは目で見たわけじゃない。体で感じたからだ」
「でも、目には映らないけど、風の存在を感じるでしょ?」
「ああ」
「それなら、智也君にも見えるはずよ。ほら、あそこを見て」
つばめが指差した方向には、風に乗って海面を走る白波があった。
白波は一定のリズムを刻みながら、風の流れる方向に沿って進んでいた。
「・・・なるほど、これなら俺にも見えるな」
智也はようやくつばめの真意が理解できた。
風は確かに目に映らない。しかし、その存在を示す足跡は智也の目に映っていた。
つばめが指差した白波こそ、風が残した足跡のひとつだったのだ。
智也とつばめはしばしの間、風を見ていた。風は自由気ままに虚空を舞い、はるか彼方へ向かっていた。
この風はどこまで流れるのだろうか。
智也はふとそんなことを考えた。
「智也君、ひとつ聞いてもいいかしら?」
とそのとき、つばめが智也に話し掛けてきた。
「なんだ?」
智也は視線をつばめに向けた。
「智也君は何故、ここにいるの?」
「どうしたんだ、いきなりそんなことを聞くなんて」
「なんとなく気になっただけよ。答えたくないなら、無理して答えなくてもいいわ」
つばめは、そっけない素振りで答えた。
「・・・」
智也はつばめから視線を逸らして考え込んだ。
智也は、思い出がもたらす痛みと苦しみから逃れたい一心で藍ヶ丘町を飛び出し、この桜峰町へやって来た。
彩花との思い出の忘却を願いながら。
しかし、その虚しき願いは未だ成就していない。
恐らく、永遠に叶わない願いかもしれない。
なぜなら、今でも彩花のことが好きだから・・・
その気持ちが強すぎるが故に、無意識のうちに思い出からの解放を拒んでいるのかもしれない。
苦しい思いをするなら忘れてしまいたい。しかし、彩花が好きだから忘れたくない。
相反するふたつの思いは、葛藤となり智也の胸の中で激しく渦巻いていた。
───それなら、どうして俺はここにいるんだ?
つばめが投げかけた疑問を、今度は自らの意思でぶつけた。
思い出の消去が叶わないなら、ここにいても仕方がない。
そう、ここにいる理由はどこにもないのだ。
ところが、まだ自分はここにいる。この桜峰という町に。
もっと遠くへ行けば、忘れることができるかもしれない。
しかし、何故かそうしようとは思わなかった。
「・・・分からない・・・気がつけば、俺はここにいた・・・そして、何故か分からないけど、今もここにいる・・・」
智也は苦悩の色を浮かべながら、しぼり出すような声で答えを出した。
「そう・・・」
それに対し、つばめは無表情のまま、短い言葉で応じた。
「今度は俺が聞くけど、何故、つばめさんはここにいるんだ?」
「私も智也君と同じよ。私も気がついたらここにいた。風に導かれ、桜峰という町にやって来た。そして、この場所で智也君と出会った」
つばめはそう言うと、智也の顔に自分の顔を近づけた。
息が届く距離まで顔を近づけられて、智也は思わず半歩下がった。
檸檬の香りと温かい吐息が智也の胸の鼓動を速くさせる。
「智也君は私と同じ目をしているわね・・・限りなく深い暗闇に閉ざされている・・・」
黒めのうのようなつばめの瞳に見つめられた智也は、吸い込まれそうな感覚に陥り、身動きがとれなくなった。
「智也君、またここで会いましょう」
つばめはそう言って智也から離れると、きびすを返して歩き出した。
その瞬間、今まで金縛りの状態になっていた智也の体が動くようになった。
───俺がつばめさんと同じ目をしている?それはいったいどういう意味なんだ?
去り際に残したつばめの言葉が、智也の心に新たな波紋をもたらした。
もともとミステリアスな雰囲気のある女性であったが、この一件でさらにその色が濃くなった。
───南つばめという女性のことが知りたい。
このとき、智也は無償にそう思わずにはいられなかった。
「つばめさん・・・」
智也はつばめが去って行った方角をじっと見つめた。