終業のチャイムが鳴ったのと同時に、智也は鞄の中に教科書を無造作に入れ、帰宅の準備を整えた。
「おーい、智也」
そんな彼のもとに、親友であり悪友でもある稲穂信がやって来た。
「早くゲーセンに行こうぜ。俺、今度新しく入った格ゲーが早くしたいんだよ」
「分かってるって。もう準備が出来たから、早速行こうぜ」
「おう」
ふたりは急ぎ足で教室を離れた。
「なあ、智也。おまえ、このままでいいのか?」
昇降口で靴に履き替えている最中に、信が神妙な面持ちで話し掛けてきた。
「なんのことだ?」
信の言いたいことはだいたい推測できていたが、あえて知らない振りをした。
「唯笑ちゃんのことだよ」
あきれたような表情を浮かべる信。
予想通りの言葉に、智也はかすかなため息をもらした。
智也は現在、幼なじみであり、恋人でもある今坂唯笑と喧嘩をしていた。
理由は今、考えれば、些細なことだったと思う。
しかし、そう思ったときには時すでに遅く、相当気まずい雰囲気になっていた。
何しろ、それ以来、お互い、顔も合わそうとせず、会話すらしなくなってしまったからである。
こちらから謝ればいいのかもしれないが、智也はこのことに関して、自分は悪くないと思っているので、どうしてもそうすることが出来なかった。
「あいつのことはほっとけばいい。俺の知ったことじゃない」
「智也、そういう言い方はやめろよ。唯笑ちゃんがかわいそうだろ」
信は親友の発言を非難した。
「・・・信、もうこの話はやめようぜ。とにかく、俺は絶対自分から謝るつもりはない」
「智也・・・」
信は困ったような顔をしながら、ひとり歩き出した智也を追いかけた。

事の発端は、1週間前、いつものように唯笑と登校していたときに起こった。
その日の唯笑は、なんとなく元気がなかった。
いつもはうるさいぐらい元気な彼女が、しおらしくしていたので、すぐに智也は何かあったことに気付いた。
「どうした、唯笑?いつものおまえらしくないぞ」
「・・・」
唯笑は何も言わずに、智也の腕に自分の腕を絡めた。
「お、おい、どうしたんだよ、急に」
恋人がとった大胆な行動に、智也は気恥ずかしくなり、慌てて腕を放そうとした。
「駄目だよ!その腕を放したら、智ちゃんが死んじゃうから!」
唯笑は反発して、華奢な腕に力を込めた。
「それはどういう意味だ?」
意外な言葉に、智也は怪訝そうな顔をした。
「うん、あのね、唯笑ね、智ちゃんが唯笑の前でトラックに跳ねられて死んでしまう夢を見たの・・・」
唯笑がうっすらと涙を浮かべながら言った。
「おいおい、そんなことあるわけないだろ。ただの夢に決まっている。だから、こんなことで泣くなよ」
智也は慌てて唯笑をなだめる。
「でもでも、正夢かもしれないもん!だから、唯笑は絶対、智ちゃんから離れないよ」
智也はため息をついた。
こうなっては、もう何を言っても無駄だってことは、長年のつきあいでよく知っている。
それに自分のことをそこまで心配してくれることが嬉しかったので、智也は唯笑の好きなようにさせた。
しかし・・・唯笑の自分に対する心遣いはあまりにも大きすぎた。
それ故に、日が経つにつれ、智也は1日中つきまとっている唯笑がわずらわしくなっていった。
そして、ついに智也の募った苛立ちが爆発した。
「唯笑、いい加減にしろよ!」
智也の怒鳴り声が放課後の教室に響き渡った。
「おい、智也、そんなに怒鳴ることないだろ。唯笑ちゃんが怯えているじゃないか」
そばにいた信が智也と唯笑の間に入った。
「信、おまえは黙っていてくれ。唯笑、いつまであんな夢にこだわっているんだ!あれはただの夢なんだよ!」
「でも・・・」
唯笑は体を震わせながら、反論しようとした。
それがかえって、智也の怒りの炎に油を注ぐような形となった。
「おまえに1日中、まとわりつかれると、まるで監視されているみたいで迷惑なんだよ!」
「智ちゃんは、唯笑が心配するのが迷惑なんだ・・・」
「ああ、すごく迷惑している!俺のことはもう放っておいてくれ!俺はもうおまえの顔なんか見たくない!」
「智也、なんてこと言うんだ!」
信がたまらず口をはさんだ。
「・・・ひどいよ、智ちゃん・・・唯笑は・・・唯笑はただ、智ちゃんのことが心配なだけなのに・・・それなのに、ひどいよ!」
唯笑は大粒の涙をこぼしながら、智也を睨みつけた。
「智ちゃんの馬鹿!もう唯笑、知らないから!」
と言い残して、唯笑は泣きながら走り去った。
信は、唯笑の背中と智也を交互に見ながら、困惑の表情を浮かべた。
───俺は悪くない。すべてあいつが悪いんだ・・・
このときの智也はただ、唯笑を責めることしか考えていなかった。

信とゲームセンターで遊んだあと、智也はひとりで夕暮れの商店街を歩いていた。
楽しみにしていたゲームだったのだが、何故か満足することはなかった。
ゲームをしている間中、唯笑のことが頭から離れなかったからである。
信は、そんな智也の心境を悟ったのか、すぐゲームを切り上げ、帰ろうと言い出した。
結局、消化不良気味のまま、その場でお開きとなり、帰宅を余儀なくされた。
よく考えると、こうしてひとりで帰るのは久しぶりのことだった。
今まで、ずっと元気な幼なじみ兼恋人がそばにいてくれたので、ひとりになることはほとんどなかった。
つきまとわれて、わずらわしかったはずなのに、今は無償に寂しさを感じ、気が付けば、唯笑のことばかり考えていた。
───なんで俺は唯笑のことばかり考えてしまうんだ?あいつがいなくなって、せいせいしているはずなのに・・・
そう思う気持ちとは矛盾した別の思いが、膨らみ始めていることに智也は気付いた。
釈然としない気持ちを抱えたまま、智也は横断歩道を渡ろうとした。
横断歩道の真ん中まで歩いたとき、けたたましいクラクションの音と同時に、1台のトラックが猛スピードで突っ込んできた。
このとき、ようやく智也は自分が赤信号のままで、横断歩道を渡っていたことに気付いた。
───しまった!
智也は逃げなくてはと思ったが、意に反して体がいうことを効かなかった。
もはやこれまでと思ったそのとき───
「智ちゃん!」
聞き覚えのある声が耳に届いた。
声のする方向に視線を向けると、唯笑が必死になって、こちらに駆け寄ろうとする姿が映った。
「唯笑!こっちに来るな!」
その瞬間、智也の金縛りが解けて、体が自由に動くようになり、反射的に唯笑に向かって走り出した。
トラックが通り過ぎるのとほぼ同時に、智也が唯笑に飛びつき、勢い余って、ふたりは道路に倒れこんだ。
「と、智ちゃん・・・」
智也の下にいる唯笑が心配そうな声で話しかけた。
「唯笑、大丈夫か?」
「うん、唯笑は平気だよ。智ちゃんこそ大丈夫なの?」
「ああ、俺も無事だ」
智也は唯笑の無事を確認すると、唯笑の手を引っ張りながら立ち上がった。
「唯笑、おまえ、どうしてここにいたんだ?」
「ごめんね、智ちゃん。実はね、唯笑、智ちゃんのことが心配だったから、ずっと後をつけていたの・・・」
またまた泣き出しそうな顔をする唯笑。
「唯笑、おまえって奴は・・・」
あれほどひどいことを言われたのに、それでも心配してくれた唯笑を見て、智也は胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
───俺はなんてひどい奴なんだ。唯笑がこんなに心配してくれるのに、ひどいことばかり言って・・・
今までとった言動に対し、大きな罪悪感を覚えずにはいられなかった。
しかも、それだけではない。
もし、唯笑が心配して後を追って来なければ、確実に自分はトラックにはねられ、死んでいた。
唯笑がいたから、自分は助かったのだと智也は強く思った。
「唯笑、あのときはひどいことを言ってすまなかった」
智也は素直に頭を下げた。
「ううん、唯笑のほうこそ、智ちゃんの気持ちも分からずに、自分勝手なことばかり言って、ごめんなさい」
唯笑も同じように頭を下げる。
「唯笑・・・」
「智ちゃん、あまり遅くなると、暗くなっちゃうから、早く帰ろ。あ、痛っ」
歩き出そうとした唯笑の表情が急に歪んだ。
「ん、どうしたんだ、唯笑?」
「なんか足をくじいちゃったみたい」
「それは大変だ」
智也は、急いで背中を向けてしゃがみ込んだ。
「早く背中に乗れよ」
「だ、大丈夫だよ、智ちゃん。唯笑はひとりで歩けるから」
「おまえの顔を見れば、無理しているのはすぐに分かる。だから、遠慮せずに乗れよ」
「う、うん、分かった」
唯笑はためらいがちに、智也の背中におぶさった。
「よし、動くから、しっかりつかまっていろよ」
智也はゆっくり歩き出した。
背中越しに心地よい感触は、大切なひとが近くにいる何よりの証だった。
いつも近くにいたから、唯笑がいて当たり前だと思い、その存在の大きさに気付かなかったのかもしれない。
今回の喧嘩で離れ離れになり、智也は改めて唯笑の大切さを知ることが出来た。
「ねえ、智ちゃん、つらかったら降ろしてもいいからね」
「心配するな。昔から、おまえをよくおんぶして歩いていたから、全然平気さ」
「そっか、そうだったよね。昔、よく智ちゃんにおんぶしてもらっていたよね」
唯笑が懐かしそうに目を細める。
「ああ。ほんと昔はいつもおんぶしてこの道を歩いたもんだ」
「智ちゃん、唯笑ね、こうして智ちゃんにおんぶしてもらうのが大好きだったんだよ。だって、このときだけ、智ちゃんをひとり占めできたから。確か、彩ちゃんは1度もおんぶしてもらっていないんだよね」
「ああ、彩花は俺なんかにおんぶしてもらうタイプじゃなかったからな。しようとすれば、必死になって拒んだと思うぞ」
「うん、そうかもね・・・」
かすかに微笑む。
「智ちゃん」
「ん、なんだ?」
智也が振り向くと、同時に唯笑がキスをした。
「ごめんなさいとこれからよろしくねのキスだよ」
「ば、馬鹿、いきなりすることないだろ」
智也はいきなりのキスに、顔を真っ赤にさせた。
「あ、智ちゃん、照れてるの?」
「ち、違う!急に熱くなっただけだ」
さらに顔を真っ赤にさせる。
「エヘへ、智ちゃん、だーい好き!」
唯笑は智也の首筋に顔をうずめた。
「こ、こら、そんなにしがみつくなって」
すっかり唯笑のペースに巻き込まれた智也は、うろたえながら歩くペースを速めた。