ビハインド・ザ・マスク

本を買うため、藍ヶ丘駅を通りかかった詩音は、見覚えのある顔を見かけ、立ち止まった。
───確かあのひとは・・・音羽かおるさんだったかしら・・・
詩音の視界に入ったショートカットの少女は、寂しげな表情を浮かべたまま、駅の柱にもたれかかるように立っていた。
詩音の瞳は、その横顔に引き寄せられ、釘付けとなった。
あんな表情をしている彼女を見るのは、初めてだった。
かおるは、詩音と同じ時期に転校してきた少女で、明るく社交的で、男女問わず人気があった。
いつも笑顔を絶やさないでいる彼女が見せた別人のような表情に、詩音は違和感を覚えずにはいられなかった。
───何故、あんな悲しそうにしているのかしら?
と思った瞬間、かおるが突然、その場から離れた。
詩音は人ごみの中に入っていった彼女の背中をじっと見送った。

校庭の一角にある紅葉の木の下は、詩音が転校して以来、昼食を食べるときの指定席となっていた。
心地よい秋風を肌に感じながら、詩音はひとりでお弁当を食べていた。
「こんにちは」
不意に誰かが声を掛けてきた。
声の主はかおるだった。
詩音は、箸を持つ手を止めて、かおるを見た。
彼女は、普段どおりの笑顔を浮かべていた。
駅で会ったかおるとは、別人のかおるがそこにいた。
───どっちが本当の音羽さんなのかしら?
詩音の疑問は次第に大きくなっていった。
「ん?私の顔に何かついてる?」
かおるが小首を傾げる。
「いえ、何でもありません」
詩音は、いつもと同じように抑揚感のない口調で答えた。
「双海さんって、いつも昼休みいないなって思ったら、こんなところにいたんだ。ね、いつもひとりで昼ごはん食べているの?」
「ええ、私はひとりでいるほうが好きですから」
そう答えたとき、頭上から何かが落ちてきた。
詩音がそれを確認した次の瞬間、
「きゃああああ!」
辺り一面に、大きな悲鳴が響き渡った。
「え、な、何?なんなの?」
かおるは突然の出来事にあっけにとられてしまった。
「く、く、蜘蛛が・・・」
詩音は体を震わせながら、地面を指差した。そこには、1匹の蜘蛛がちょろちょろと動き回っていた。
「え、蜘蛛って、これのこと?」
「は、は、早くその蜘蛛を追い払って!」
「あ、うん」
かおるは、言われたとおり、蜘蛛を追い払った。
「もういなくなったよ」
「んもうっ、あんなところで蜘蛛が出るなんて最低っ!あ・・・」
思わず悪態をつく詩音。
このあと、すぐにかおるがいたことに気付き、慌ててふためいた。
「え、えっと、あの、これはその・・・」
「プッ・・・アハハハハ」
あまりの狼狽振りに、かおるは吹きだしてしまった。
「これが双海さんの本当の姿なんだね」
「あ、いえ、違います!それはその・・・」
否定しようとするが、弁解の言葉が出てこない。
詩音は顔を真っ赤にして、うつむいた。
「隠さなくてもいいよ。実はね、私、双海さんが自分を偽っているんじゃないかって、薄々感じていたの。双海さんって、私と似ているような気がしたから」
「え・・・」
かおるの発言に詩音は驚きの声を上げた。
「それってどういう意味ですか?」
「うんとね、私も自分自身を偽っているってこと。仮面を付けて、素顔を隠しているっていうことだよ」
「そうですか・・・それじゃ、駅で見かけた音羽さんが、本当の音羽さんなんですね・・・」
その言葉を聞いて、今まで持っていたかおるに対する疑問が解決した。
「駅で見かけたって・・・そうか、駅の改札口にいたときの私と会ったんだ」
「はい、そうです。本屋に向かう途中で、あなたを見かけたんです」
「そっか・・・」
かおるは小さくため息をついた。
「実は私、昔、付き合っていたひとがいてね、今でもそのひとのことが忘れられないの・・・本当はそんなことじゃダメだと思って、一生懸命、明るく振舞って、過去を忘れようとしているんだけど、どうしても忘れることが出来ないの・・・」
寂しげな微笑を浮かべる。
「そんなことがあったんですか・・・」
「ごめんね、いきなりこんなこと話すなんて変だよね」
「いえ、そんなことないと思います」
詩音はまっすぐかおるを見つめながら言った。
確かに内心は少し驚きもしたが、それでもかおるが自らの秘密を語ってくれたことに対して、好感を持つことが出来た。
───音羽さんと私は、似たもの同士なのかもしれない・・・
詩音は、初めて共感を持てる相手と出会えたことを知った。
「ねえ、双海さん。もしよかったら、どうしてわざと冷たい女性を演じて、他人を避けているのか教えてくれる?あ、もちろん、言いたくなかったら、言わなくてもいいわ」
「・・・小さい頃、この日本にいたとき、私は瞳の色が違うからといって、いじめられていました。だから、私は誰にも干渉されないようにするため、ずっと冷たい女を演じていたんです」
「そっか・・・そんなことがあったら、そんなふうに他人を避けてしまうのも無理ないね・・・」
かおるは詩音の身の上を聞いて、同情の念を抱いた。
「ね、双海さん。よかったら、私たち、友達にならない?」
「友達・・・ですか?」
初めて言われた言葉に、目を丸くさせる。
「うん。私、双海さんとなら、いいお友達になれそうな気がするの。ダメかな?」
「いえ、私でよければ・・・」
詩音もかおるとまったく同じことを思っていたので、彼女の申し出はとても嬉しかった。
このひとの前なら、偽りの仮面を外して、本当の素顔のままでいられる。
詩音は強くそう思った。
「よかったあ。断られてしまったら、どうしようかと思っちゃった」
かおるは手放しで喜んだ。
「それじゃ、今日から私たちは友達だよ。これからよろしくね、双海さん」
「こちらこそよろしくお願いします、音羽さん」
詩音とかおるは、微笑みながらお互いの手を握った。