私のお侍様(メモリーズオフサイドストーリー)

澄空高校の門を出た智也の足取りは重かった。そんな智也の気分を象徴しているのか、空もどんよりと曇っていた。
しかし、そんな彼とは対照的に隣を歩く詩音の足取りは弾むように軽かった。
「智也。約束、ちゃんと守ってくださいね」
「ああ、分かってる」
嬉しそうに言う詩音に対して、智也は力なくうなずいた。
事の起こりは、詩音と古典の小テストの点数で、勝負したことから始まった。
内容は負けたほうが勝ったほうに1週間、好きな食べ物をおごるというもので、これは智也から言い出した勝負だった。
勿論、今回のテストには自信があり、その自信どおりの点数を出したのだが、それでも智也は負けてしまった。わずか1点の差で・・・
この1点はいろんな意味で大きかった。大差で負けるのに比べ、僅差で負けるほうが精神的なダメージが大きいし、何より智也経済への打撃は計り知れないものだった。
「なあ、詩音。なんで今回のテストの点数がよかったんだ?」
「そうですね、多分、智也と一緒に勉強したからだと思いますよ。今回、たまたま智也と一緒に勉強したところが多く出題されていましたから」
智也は詩音の答えを聞いて納得できた。確かに一緒に同じ個所を勉強したのだから、同じような点数を取っても不思議ではない。1点の差は運がなかったか日頃の行いが悪かったということだろう。どっちにせよ間接的に敗因を自分で作っていたことが分かり、智也はさらに落ち込んだ。
そんな心境を抱えたまま、詩音と駅前の喫茶店へ向かう途中、小学生くらいの女の子が3人の男の子にいじめられている場面に出くわした。
「あいつら、女の子ひとりによってたかって」
智也はそうつぶやくと、女の子を助けようとした。ところが、先に詩音が駆け出したので、智也は思わず立ち止まってしまった。
「やめなさい!あなたたち!」
詩音の姿を見て、男の子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「もう大丈夫よ」
詩音は泣きじゃくる女の子に優しく声を掛けた。
「グスッ・・・助けてくれてありがとう・・・」
女の子は泣きながら礼を言った。遅れてやって来た智也は、女の子の髪と瞳の色が詩音と同じだということに気付いた。
—この子を見て昔の自分を思い出したんだな。
智也は、珍しく詩音が積極的に動いた理由がそこにあることを確信した。
「あなたの名前を教えてくれる?」
詩音はしゃがんで尋ねた。
「カスミ・・・九ヶ崎カスミっていうの・・・」
「そう、カスミちゃんっていうのね。私は双海詩音っていうの。よろしくね」
詩音はそう言って微笑んだ。
「ねえ、カスミちゃん。もし、よかったら一緒に喫茶店でパフェでも食べない?」
「あたし・・・お金持ってないの・・・」
悲しげにぽつりとつぶやく。
「お金の心配はしないで。私がおごってあげるから」
「ほんとにいいの?」
詩音は上目使いで自分を見るカスミの頭を撫でた。
「もちろんよ。だから、もし用事がなければ、お姉ちゃんと一緒に行きましょ」
「うん」
カスミは小さくうなずいて答えた。
「智也、この子も一緒でいいですよね。そのかわり、今日は全部私がおごりますから」
詩音の申し出に智也は軽く手を振った。
「約束だと人数の指定はしていないから、俺がまとめておごってやるよ。ただし、今日だけだぞ」
「ありがとうございます」
詩音は嬉しそうに頭を下げた。
「それじゃ、店が閉まらないうちに、早く行こうぜ」
「はい」
詩音はカスミの手を取って歩き出した。
駅前の喫茶店にたどり着くと、智也はコーヒー、詩音は紅茶、カスミはイチゴパフェを注文し、テーブルで品物が来るのを待った。
「ねえ、詩音お姉ちゃん。お姉ちゃんの髪と目ってあたしと同じなんだね」
「ええ、そうよ。これは母親譲りなの。カスミちゃんはどっち譲りなの?」
「あたしはパパ譲りなの」
「そうなんだ。とてもよく似合っているわよ」
「あ、ありがとう。そう言ってくれたのは詩音お姉ちゃんが初めてだよ」
カスミは心底嬉しそうな表情を浮かべた。
「お待ちどうさまでした」
ちょうどそのとき、ウエイトレスが注文の品を各々のテーブルに置いた。
「さあ、今日は俺のおごりだ。遠慮せずにじゃんじゃん食べてくれ」
智也が半ばやけ気味に言った。
「それじゃあ、遠慮せずにケーキも頼みましょうか」
「少しは遠慮してください」
弱気になった智也を見た詩音とカスミが同時に笑い出した。
—なんか本当の姉妹みたいだな。
智也は仲睦まじく話すふたりを微笑ましく思った。
そして、同じ境遇だとはいえ、初対面の人間に対して親身になる詩音を見て、仮面の下の素顔が心優しい女の子であることを改めて感じた。
「どう、おいしい?」
「うん、すごくおいしい」
カスミは詩音の問いに笑顔で答える。
「あ、口のまわりにクリームが付いてるわよ」
そう言って詩音はハンカチを取り出すと、カスミの口のまわりを拭いた。
「ありがとう、詩音お姉ちゃん」
互いに顔を見合わせて笑う。
—うーん、なんか話しかけにくいぞ・・・
あまりにもふたりの仲がいいので、智也は完全に孤立してしまった。
仕方ないので、ふたりのやりとりをぼんやりと眺めながら、ひとり寂しくコーヒーを口に含んだ。
「ねえ、詩音お姉ちゃん。ひとつ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
ふと何かを思い出したように、カスミがスプーンを持つ手を休めた。
「何かしら?」
「あのね、オサムライサマって本当にいるのかな?」
質問とほぼ同時に智也の口からコーヒーが霧状に吐き出された。
「智也・・・」
非難のこもったまなざしを送る詩音。
「だって・・・」
智也の弁解を無視して詩音が話を続けた。
「カスミちゃんはお侍様に興味があるの?」
「うん、あのね、あたしがいじめられて泣いて帰るとね、パパがいつもこう言うの。いつかあたしの前にオサムライサマが現れて、私を守ってくれるから、それまでの辛抱だよって・・・」
カスミがうつむき加減につぶやいた。
「あのな、そのお侍ってのは・・・イテテテッ!」
詩音が智也の足をつねって言葉を遮った。
「大丈夫よ、お侍様はちゃんといるわ。だってここにいるお兄さんがお侍様なのだから」
「え!?」
詩音はとっさに何か言おうとした智也を目で黙らせた。
「このお兄ちゃんがオサムライサマなの?」
「そうよ。だから、きっとカスミちゃんのところにもお侍様が現れて、カスミちゃんを守ってくれるわ」
「やっぱりオサムライサマはいるんだ・・・早く現れないかな、オサムライサマ・・・」
カスミは目を輝かせながら、智也に釘付けとなった。
言いたいことは山ほどあるが、詩音の厳しい監視のため、智也は引きつった笑いを浮かべることしか出来なかった。
「大丈夫よ、きっと現れるから・・・」
詩音はカスミの頭を何度も撫でた。

次の日の夕方、授業を終えた智也と詩音が駅前の喫茶店へ向かっていると、坂道の手前で泣いているカスミと出会った。
「どうしたの?カスミちゃん」
詩音は小走りで駆け寄って尋ねた。
「詩音お姉ちゃん、あのね、パパに買ってもらったスケッチブックを取られたの・・・」
カスミは泣きながら詩音に抱きついた。
「スケッチブックを取ったのは、昨日の子たちなの?」
詩音の腕の中にいるカスミが小さくうなずく。そんな彼女を見て、詩音は昨日の男の子たちに対して、激しい怒りを覚えずにはいられなかった。
「私、あの子たちからスケッチブックを取り返しに行きます!」
「待てよ、詩音」
走り出そうとする詩音を智也が制した。
「俺が行く。そういうのは俺のほうが向いているからな」
「・・・お願いします」
「まかせとけ。ただ、あまり遠くに行ってなきゃいいんだが」
智也と詩音が会話しているとき、ひとりの少年がスケッチブックを抱えながらこちらに走って来た。
「よかった、そこにいてくれて」
少年は肩で息をしながら口を開いた。
「おまえがそのスケッチブックを取り返してくれたのか?」
「ああ。たまたまここを通りかかったら、その娘が3人組にスケッチブックを取られたのを見たから、急いで追いかけて取り返したんだ」
少年は智也の問いに得意げに答えた。
「ありがとう、わざわざ取り返してくれて」
詩音が深々と頭を下げた。
「と、当然のことをしただけだ。それに、よってたかって女の子をいじめる奴らを、同じ男として許せなかったしな」
少年は照れたようにそっぽを向いた。
「ほら、取り戻してやったぜ」
ぶっきらぼうな態度でスケッチブックをカスミに渡した。
「あ、ありがとう・・・」
「・・・」
少年はカスミと目が合った瞬間、急に顔を赤らめ、そわそわしだした。
「おい、どうしたんだ急に・・・あ、さては一目惚れってやつか?」
「そ、そ、そんなんじゃねぇ!」
少年は怒って智也のすねに蹴りを入れた。
「ぐわっ」
情けない悲鳴を上げてうずくまる。
少年はフンと鼻を鳴らして、ふたたびカスミを見た。
「えっと、おまえの名前は何ていうんだ?」
「九ヶ崎カスミっていうの・・・」
「カスミか・・・あ、俺は藤堂竜司。竜司って呼んでくれ」
「竜司君・・・」
「おう」
ぽつりと名前を呼んだカスミに、竜司が胸を張って答えた。
「なあ、カスミ。よかったら俺と友達になってくれないか?実は俺、つい最近この街に引越して来たばかりで、友達がいなくて退屈なんだ」
「え?・・・」
突然の申し出にカスミは口に手を当て、驚きの表情を見せた。
「ほんとに・・・ほんとにあたしと友達になってくれるの?」
「ああ。俺はカスミと友達になりたいんだ」
竜司が力強くうなずいて笑った。
「あたしも竜司君と友達になりたい!」
カスミは今、湧き上がる気持ちをそのまま言葉にした。
「よし、今日から友達だぜ」
「うん!」
カスミは竜司が差し出した手を強く握った。
「よかったわね、カスミちゃん。お侍様と出会えて」
詩音は笑顔を浮かべながら言った。
「うん!」
カスミは満面の笑みを浮かべて答えた。
「何だ?そのオサムライサマって」
「この子を守るナイトのことさ」
「言ってることがよく分かんないぞ」
智也の言葉に竜司はいぶかしげな表情を浮かべた。
「竜司君、友達としてカスミちゃんを守ってあげてください。お願いします」
詩音が竜司に近づくと、頭を下げた。
「ああ、カスミをいじめる奴は俺がボコボコしてやるよ」
竜司は自分の腕を軽く叩いたあと、カスミに声をかけた。
「カスミ、どこか遊べる場所知らないか?よかったら、一緒に遊ぼうぜ」
「えーと、この先に小さい公園があるけど、そこでいい?」
「おう!それじゃあ、すぐに行こうぜ」
「うん!」
カスミは嬉しそうな顔をして答えたあと、詩音に駆け寄った。
「詩音お姉ちゃん、今度一緒に遊んでね」
「ええ、いいわよ」
詩音は笑いながら、カスミの頭を撫でた。
「約束だよ、詩音お姉ちゃん」
カスミはそう言って小指を立てた。
「うん、約束ね」
詩音は、その小さな指に自分の指を絡めて、指切りを交わした。
「じゃあね、詩音お姉ちゃん!」
[またな、綺麗なお姉さんとダサいお兄さん]
カスミと竜司は軽く手を振ったあと、並んで坂道を登り出した。
「誰がダサいお兄さんだ。ったく」
智也は竜司の別れ際の台詞に悪態をついた。そんな智也を見て詩音が笑い出す。
それを見て智也は憮然とした表情をあらわにした。
「そんなに笑うなよ」
「フフフ、ごめんなさい」
詩音の笑いがなかなか止まらないので、智也はあきらめのため息をついた。
「だけど、あんなに早くお侍様が出来るとは思わなかったな」
「そうですね。でも、本当によかったです。カスミちゃんに友達が出来て」
詩音は自分のことのように喜んだ。
自分もカスミと同じ年頃に、やはりいじめや差別を受け、何度も泣いた。また、誰ひとり友達がいなくて、寂しさと孤独感に打ちひしがれた。その苦しさから逃れるには、素顔と心に仮面を付け、他人との関わりを否定するしかなかった。それ以外に自分を救う方法がなかったから・・・
そして、その代償として詩音は楽しい思い出を作る機会を失った。
—カスミちゃんにはそんなふうになってもらいたくない。
智也と出会い、素顔の自分を取り戻した今だからこそ、詩音は強く思った。
「智也・・・」
「ん?」
「智也は私のお侍様でいてくれますよね・・・」
詩音は智也をじっと見つめた。
「当たり前のことを聞くなよ」
智也は笑いながら、詩音の髪をそっと撫でた。詩音はその手を握って、頬を当てた。
「お侍様、ずっと私を守ってくださいね」
「ああ、どんなことがあっても守り抜いてやるよ、お姫様」
智也は空いている腕で軽く詩音を抱きしめた。