その夢はたったひとつの願いから生まれた。
時間という束縛を受けなくなったその日から生まれた願い・・・
大切なふたりの幼なじみが、ふたたび心の底から笑えるようになること───それが桧月彩花の願いだった。
彩花はただひたすら願った。ふたりのために。そして、長い歳月を経て、願いは叶い、夢へと変わった。
夢は彩花の目の前にあった。ふたりの幼なじみ───智也と唯笑の無邪気な笑顔。
───ずっと、ふたりの笑顔を見守っていたい。
他人から見れば、ささやかすぎる夢かもしれない。だが、この世界の人間ではなくなった彩花にとっては、かけがえのない想いであり、夢でもあった。
彩花はいつものように、公園の木のそばで智也と唯笑を見ていた。無論、ふたりは彩花の存在に気付いていない。
彩花は楽しそうに談笑しているふたりの姿に、顔をほころばせた。
「こんにちは」
不意に誰かが背後から声をかけてきた。
突然の出来事に彩花は、表情を固くしながら振り返った。すると、そこには穏やかな顔立ちをした、同じ年頃の少年が立っていた。
「あなた、私のことが見えるの?」
驚いている彩花に対して、少年は笑顔を浮かべながらうなずいた。
「ええ、僕もあなたと同じですから」
「そうなんだ・・・」
その答えを聞いて、彩花は少年が自分と同じ存在であることに気付いた。
「あの男性は昔の彼氏ですか?」
「ええ、そうよ」
彩花はそう答えると、ふたたび智也たちを見た。
「幸せそうですね」
「そうね・・・」
嬉しさと寂しさが入り交じり、複雑な心境にかられた。
「実は今日、僕も昔の彼女に会って来ました」
少年がたおやかな口調で言った。
「どうだったの?」
彩花は顔を少年のほうに向けた。
「新しい恋人と幸せそうにしていました。あのふたりみたいにね」
少年は微笑みながら答えた。
「そっか・・・」
彩花はまた智也たちのほうに視線を戻した。
「ふたりの幸せは私の夢なの。ずっと・・・ずっと見続けたい夢なの」
「そうですか・・・」
それっきり彩花と少年は口を閉ざした。しばしの沈黙が訪れる。
「その夢はもう終わりにしてもいいと思いますよ」
少年が沈黙を破った。
「もうあのふたりは、あなたが見守らなくても大丈夫ですよ、きっと」
「・・・」
彩花は少年の瞳をまっすぐ見つめた。
「過去よりも今のほうが大切だと僕は思います」
少年の表情は柔和だったが、その言葉には力強い意思が感じられた。
「僕は今、自分自身の夢を探しています。もっともこんな体ですから、出来ることなんて限られますけどね。それじゃ、僕はこれで失礼します。また機会があれば、お会いしましょう」
少年は、屈託のない笑顔を浮かべながら一礼をして、その場を後にした。
彩花は小さくなっていく少年の背中をじっと見送った。
「そうだよね、もう私が見守る必要なんてないんだよね・・・」
彩花は寂しげにつぶやいた。初対面で名前すら知らない少年の言葉は、彩花の心に大きな波紋を生み出した。
智也と唯笑は“彩花の死”という過去の呪縛を解き放って、前に歩き出した。それにひきかえ、今の自分はもっともらしい理由をこじつけて、立ち止まったままでいる。それでは自分のやっていることに矛盾が生じてしまう。
果てしなく続くと思われる夢・・・夢は彩花が望むかぎり、終わることはない。
しかし、もう終わりにしよう。今がその夢に幕を降ろす時なのだから。
───ひょっとしたら、そう言ってもらうのを待っていたのかもしれないね・・・
彩花は、自分も誰かに歩き出すきっかけを作ってもらいたかったのではないかと、ふと思った。
「ふたりとも、私も新しい夢を見つけに行くね。でも、忘れないで。どんなに遠く離れても、私たちはいつも一緒だよ・・・」
そう言い残すと、彩花はきびすを返して歩き出した。
「・・・彩花ちゃん!?」
公園で会話をしていた唯笑が突然、幼なじみの名前を口にした。
「どうしたんだ?」
「今ね、彩ちゃんの声が聞こえたの」
「そうか、実は俺も聞こえたんだ、彩花の声が」
「え、そうなの?」
智也と唯笑は、さっきまで彩花がいた木を何げなく見た。
次の瞬間、穏やかな風が吹き抜けた。
夢の終わりと始まりを告げた風は、優しく智也たちを包み込んだあと、どこまでも続く空に舞った。